文化

一攫千金を夢見てゴールドラッシュに沸いた町 - 砂金が眠る宝の川 -


歴舟川 歴舟川は「南西の風」を意味する「日方川」とも呼ばれています。ポンヤオロマップ川、ヌビナイ川、中の川などの支流を集めて大樹市街を流れ、メム川とともに太平洋へと注ぎ込みます。当時「日方風が吹けば川に大水が出る」と依田勉三も述べており、激しい流れは川底をけずり、上流から土砂とともに砂金を運んで来ました。これが「宝の川」と呼ばれる由縁です。砂金堀り
 歴舟川での採取は、カナテコや揺り板を使っての流し掘りが主流。水に浮かせた揺り板を前後に揺らし、砂礫(されき)を取り除くと、黒い砂鉄にまぎれて砂金がキラリと光を放ちます。
 大樹町のゴールドラッシュ時代は、明治33年頃。尾田のまちには200人もの砂金堀り師がつめかけ、一攫千金を夢見る人々で賑わいを見せました。ピーク時には掘り師の数が1000人を越えたと言われる砂金採取の最盛期。ひとつの塊が15匁(もんめ)から20匁もあるものも採れ、繁栄を極めました。
 川底に眠る黄金の夢は、今もなお人々に語り継がれ、「黄金物語」は生き続けています。


晩成社


依田 勉三 依田勉三率いる晩成社が、当縁に牧場を開いたのは明治19年。原生林を切り開き、不毛と思われた土地に鍬を下ろし、畑作と酪農を試みたのです。復元した依田勉三住居
 粗末な小屋で寒さを凌ぎ、自然の猛威に立ち向かう。自分を支えるのは不屈の開拓精神と理想、そして仲間たち。勉三が「十勝開拓の祖」と呼ばれるのは、いち早い入植と様々な事業に挑んだからと言えるでしょう。晩成社は半地下式のサイロを作り、バターの製造やチーズの試作など時代を先取りした酪農経営を展開。今日の大樹農業の基礎を築き上げました。
  晩成社をはじめとする多くの開拓者によって、大樹は豊かな実りをもたらす夢の大地へと生まれ変わったのです。


問い合わせ先

問い合わせ先 大樹町役場企画商工課広報統計係
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メール kouhou_toukei-kakari@town.taiki.hokkaido.jp

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